「愚かな金持ち」  03.01.18
              ルカ12:12〜21

 主イエスにつながって生きている自分を知った者は、もう恐れや不安に
振り回されなくても良いことを知ります。何があっても揺るがない平安は、
神さまから与えていただくしかありません。信仰者は、その神さまの救い、
深い愛、永遠の命の約束を知らされて、「もう何があっても安心だ」との言葉を
自分の言葉にできます。
 しかし、揺るがない平安を、神以外のところに求めようとするのが、人間の
抱える愚かさです。

 遺産相続のことで心を乱している人が、主イエスに相談に来ました。
その時、主イエスは、ひとりの金持ちの話をされました。その金持ちは、
豊作によって大変多くの収穫を手にします。それは、多くの人があこがれる
ようなこの世の成功をおさめた人でした。
 しかし、主は「その金持ちは、神さまから愚かの者よと言われる」とおっしゃいます。
彼が不正を働いたからではありません。ただ、自分の安心や確かさの根拠が、
自分の持っている財産にあると思い込んだからです。一時の限りある平安しか
もたらさない物を頼りにするのは、愚かだとおっしゃるのです。

 主はそのお金持ちの話をされる前に、「貪欲に注意しなさい」とおっしゃいました。
「貪欲」は、偶像礼拝と結び付けられます(エフェソ5:5)。神さま以外のところに
安心を求めて、それを求めているからです。その意味で、金持ちは愚かなだけでなく、
偶像礼拝の罪もありました。

 主は、相談に来た人に貪欲と愚かな金持ちのことを語り、永遠の確かさを
もたらすのは持ち物ではなく、神さましかないことを知って欲しいと願われたのです。
 そして、貪欲という罪から離れ、「わたしの民よ。キリストと神との国を受け継ぐ
者よ」と神さまに呼びかけられていることに安心をして、生きて欲しいと願って
おられます。

 主は、私たちの罪を赦し、救いを与えてくださり、神の民にふさわしく
してくださいました。
 私たちは、主によって「神の前での豊かさ」を与えられました。